自分にとっての人生の三種の神器




自分の目に映る「悟っている方」が、だんだん、 「もう生きてるだけでなんでもええや〜ん」という感じになっておられるのを、 目にするようになってきて、 自分にもそろそろ「潮時」が近づいてるかもしれないなあ、という気がしてきました(笑)

「悟り」が落ちてから、まだぐるぐる迷って、「私、本当に悟った?」なんて思ってるときに、 (そんなふうに疑問に思っても、べつにぜんぜん良かった・笑) SEINAさんという方のブログに出会い、驚きました。

それまで、悟りについて書いている方のブログなどの文章を読んでも、 「ん? ここはなんか、違う気がするな〜」というポイントがちょびっとづつあったのですが、 SEINAさんのブログは、本当にちっとも「これは違うような?」がなかったので。 読むといつも、心がす〜っと落ち着いていきました。 「私」以外の、世界がわたし * https://ameblo.jp/angaile-iam/

で、そのSEINAさんのブログで「三種の神器」が紹介されていました。 私も、私なりの三種の神器を書きたいなと思ったので、書いてみます(笑)

私の三種の神器は
生きてるだけでまるもうけ
これでいいのだ
人間万事塞翁が馬
です。 なんとなーく、自分の個性を反映して、 「真理」よりも「生きる」のほうに、 「空」よりも「色」のほうに、軸足が寄っている、 そんな三種の神器になっているかもしれないな、なんて思います。

ちなみに、次点には以下のふたつがきます。
「眼横鼻直」= 目はヨコについてて鼻はタテについてることがわかった。
「黄檗三打」= 悟りを開いたとたんに師匠をぶん殴った(笑)、臨済と黄檗の話。

一年前くらいは、「中道」という言葉がすごい好きで、 最強ワードだなあ、なんて思ってたんですけどね。 でも、悟ったとたんに師匠をぶん殴ったりする、めちゃめちゃな臨済の話好きだし(笑) 腹立ったらバリクソにブチ切れ散らしたりしたらいいやん別にー(笑)とか思ってるので、 「中道」のバランス感覚も、さほど重視しなくなってきました。 (中道の意味は、そういうことじゃないですけどね)

「こいつ悪いやっちゃ!」「ムカツク!」と思ったら、 がんがん怒って文句云ったらいいと思います。 「怒る」って実はいちばんストレートで、健康的な発散法のひとつですしね。 私は母娘関係が良好なのですが、その秘密を自分でよく分かっています。 それは反抗期に、 「うっさいんじゃクソババア!! 死ねやーーー!!!」 とか叫んでたからです(笑) 母も母で、ヒステリー爆発、ストレスをストレートに爆発させて、キレ散らかしてました(笑)

初発の段階で、この健康的な発散をやって「怒り」を蓄積させないでおくのは、 もっとも健康的な「浄化方法」のひとつだと思います。 もちろん、怒りを発散できず溜め込むのも、「ただそれを体験したかっただけ」だから、 なんの問題もないんですけどね。

あっちこっちに傾きまくって、偏りまくって生きるの、おもしろいと思います。 どっかおかしくて、バランス感覚悪い人、私、好きなんだよなあ〜(笑)

人間はちぐはぐだから、この世界は、こんなにもおもしろい。

—2022.09.09 新緑めぐる




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