なぜ私は「悟りビジネス」や「スピリチュアルビジネス」をやらないのか




最近なにをしていたかというと、ごく普通に社会的に生きていました。 両親のための物件を探して不動産屋まわりをしたりなど、いたって社会的。 で、社会の中でさまざまな人と会い、話をする機会を持つと、 「悟り」や「真理探求」といったものは、たとえ悟りが落ちたといったところで、 人生の道中にある要素のほんの一側面に過ぎないものだなあと、つくづく思いますね。

「悟った人は凄い」とか「悟った人は偉い」なんてことは、まあ、あり得ないですね(笑) 悟ろうが悟るまいが、世の中には自分よりはるかになんらかの能や才や知恵や教養や、 あるいは人柄の良さや得も言われぬ面白さや喧嘩力などなどに溢れた人と、 いっぱい出会いますからね。 私の身内のひとりは、破天荒で大酒飲みでめちゃくちゃな破滅型の生き方をしましたが、 そんな滑稽で反社会的で世間からは情けないと評されるような生き方というのであっても、 私には出来ないことですから、「大したもんだなあ」なんて深々感心しちゃいました。 「もはや天才だなあ、このバカさ加減は自分には到底披露できないなあ」 と、つくづく思ったものでした。 カックィー、シビれるー、と思いましたね。 この世の誰しもが、なんらかの性質のエキスパートですからね。 やっぱり人と交わると、自分がいかに人間的にまだまだヒヨッコかよく分かりますね。 「我が師ならざる者はこの世になし」だと思います。

スピリチュアル探求や悟り探求の世界では、いわゆる「悟った人」や、 特殊能力のある人などを「先生」「師」「老師」「世尊」などと呼び敬うことがありますが、 これもまた大層に滑稽味の濃ゆい人生劇場を演じているものだなあと思いますね。 悟り人も里に下りれば「ただの人」ですからね。 大学の偉い先生だって大阪のおばちゃんの中にいたら、 ただのイジラレキャラでこづき回されるだけ、みたいなもんですかね。

以前にも書きましたけど、 高座から能書き垂れとらんと、さっさと見世物小屋に下りてこんかい! ですね。 これが私の心情であり信条です。 「師」めいた顔で高座から垂れる弁というのは、所詮、すべて能書き垂れです。 滑稽劇場における猿回しの猿と猿の掛け合いに過ぎませんからね。

で、そんな具合に「ごく普通の社会的な暮らし」をやっていた訳ですが、 まあまあ普通ではないかな、というところといえば、 貯金もなく、お金が入ってくるアテもなく、パートナーに養われている訳でもないのに、 まったく働くだの労働するだのというつもりがなく、今生もはやそれはしないと決意しており、 意味不明で脈絡のない妙なる威力によって、 なんだかよく分からないけれども「生きられる」という状態に勝手になりさらせ! と、自分の人生を他人事のように放り投げている点ですね。

以前の記事で書きましたが、今は完全予想外の経路で入ってきた少々のお金で暮らしています。 パートナーとは生活費は折半で、パートナーの貯蓄は100%本人の物です。 私は貯蓄もないので(笑)、来年の半ばくらいにはお金も尽きてしまうでしょう。 ごく一般的には、こういう状態になると多くの人は、 焦って就職活動なりバイトなりするのでしょう。 以前の私も、光熱費すら払えない状態になってはよく目を白黒させていました(笑)

しかし、今の私はそういう「当たり前に働くこと」は一切やらないと決めています。 労働らしい労働は生涯しない、ということを決意してしまったのです。 かといって、悟りビジネスもスピリチュアルビジネスもやりません。 なんだかチャネリングとかけっこう出来るし、タロットなぞ引いてみようものなら、 100%の予言率で我ながらビビったりする(笑)んですが (階下の住人の死亡が当たったり等、なぜか、なんじゃこら??と思う的中率なのです・笑) 占い師やカウンセラーやセラピストなんていうビジネスも絶対しません。 クンダリーニ覚醒も勝手に起きたし、気功の小周天大周天なんてのも、 何故か勝手にできちゃったけど(笑)、そっち系のビジネスもやりません。 世の中には「クンダリーニ覚醒何十万」といった講座なんか、よくありますけどね。 私の場合、無料でなぜかよく分からないけど、クンダリーニ覚醒も小周天大周天も、 勝手に起きてきたので、おトクでした。 どうもクンダリーニ覚醒が起きたらしいときは、体中をエネルギーが巡って、 1〜2ヶ月ほどうねうねとエネルギーが動いて少々大変でしたが、 だいたい、夢で「こうするとOK」みたいな指導夢を見るので、ぜんぶ無料で済ませられました。

なぜその手の悟りビジネスやスピリチュアルビジネス、メソッド売り屋などを、 私が絶対にしないと決めているかというと、 そういったものは、所詮はごく一般的な「経済原則」に即したお商売でしかないからです。 望む人がいて、売る人がいる、とても分かりやすい旧来より馴染み深い商行為ですよね。 買いたい人がいるんだから、売ればお金が入ってくる。 当たり前のことです。普通のことです。分かりやすい現象です。 私にとっては、これが「当たり前すぎるな」と感じるんですよね。 で、そんな分かりやすい、よく知られた経済原則にのっとった方法でお金を得たところで、 不思議でもなんでもないし、びっくりする要素が全くないわけです。 これは、私がやりたいと意欲をそそられる「人生実験」では全くないんですね。

じゃあ、何がやりたいのかというと、 いっさい働かず、好きなことだけやって暮らしているにも関わらず、 なんだかよく分からない意味不明な方法論で生きていかれるようになる、 そういう状態を目撃したい、人生実験を通じて体験したいと思っているんですよ。 これが、2020年〜今年までの3年間は、みごとに達成されました。 詳細は上の別記事にありますが、 なにせコロナ給付金なんてのは、なぜか地球規模の変動が起きて、 自分が生きられるだけのお金が入って、生かされた訳ですからね。 これはもう、堂々たる「意味不明な脈絡のない道筋で入ってきたお金」です。

そんな訳で、今後とも、いったい何がどうなって自分は「生かされる」 という状態になるんだか、しっかり目撃&観察してやろうと思っています。 「マ、マジかよ〜!!そっちから来たか〜!!ビビる〜!!」 という体験がしたいんですよ、私(笑) びっくりするの好きなんです。

まあそれだけです。 びっくりしたいし、びっくりし過ぎてウケて、笑いまくりたいんです。 うひゃひゃひゃひゃひゃ、みたいな感じが好きなんですね。 いい感じに頭がアホなんでしょう(笑) 頭の中が、小2男子くらいの感じなんだと思います。 自覚ありますねえ。

—2022.10.24 新緑めぐる




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