殺処分を無くそうと決意した理由
2018.03.02 更新






 僕は昔、自殺に

 3回失敗しました。




 うち2回は業務用冷凍庫で

 凍って死のうとして失敗。

 
  雪山の遭難シーンでよくある
  「寝るなー! 寝たら死ぬぞー!」
  というやり取りを見て、

  「眠るように楽に死ねる」とか
  思ったのでしょう(笑




 そして最後の1回は二酸化炭素で、

 これまた「眠るように死ねる」と思い

 押入れの中で決行しましたが失敗。


 この二酸化炭素の自殺は

 壮絶に苦しく、とても

 眠るようになんて無理でした。


 窒息死と変わりません。

 怖くて怖くて、

 苦しくて苦しくて、

 これなら凍死の方が

 全然マシだと思ったのは

 十年たった今でも

 覚えています。






 それはさておき、ある日

 こういった内容の映像を見ました。



YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=1X4X6UOO_8Q
   映像は 6:00 の部分から見れば  私が何を言いたいのかは大体わかるはずです。    ※都合のいい現実にしか   目を向けたくない主義の人は   絶対見ないほうがいいです。  これを初めて見たとき、 「誰か何とかしないのかよ!」  と思いました。  しかし、次に直感しました。 「いや、誰も何もしない」  と。  私は何回も自殺したいと思うほど  病んでいた事もありますが、  本気で自分を変えたいと   がんばった時期もあります。  目標を持って生きる事の  素晴らしさを知ってからは、  それを達成できるだけの  能力、人格、理想に見合う器になろうと、  人間の事、心の事、成功法則、  あらゆる事を真剣に勉強し、  お金と時間もたくさん使いました。  勉強しただけでは  もちろん意味はないので、  それらを遺伝子に  染み込むくらい実践し、  反復して練習もしました。  なので、人間の事や現実の事は  私なりに人一倍わかるつもりです。  だから確信しました。 「誰も何もしない、  これはいつまでも変わらない。」  と・・。  人は優しい生き物だと思います。  本当に心から優しい生物だと思います。  特に自分には・・。  だからどんな人も  結局はそのうち忘れるし、  どうでもよくなります。  彼らの悲鳴も、恐怖も、  それは画面の向こう側の話であり、  自分の現実とは関係ない。  どこかで都合良く、  意識の外へと  切り離して考えます。  コメントやブログに  「かわいそうだ」とか  「なんとかしてあげたい」とか  「こんな事ゆるせない!」と  訴える人も大勢いるでしょう。  そうです。  そう言う人だけなら  いっぱい居るもんです。  けれども、この現実が  変わったでしょうか?  この拷問のような処分により、  一方的都合で殺される犬や猫は  救われているでしょうか?  残念ながら 「なんとかしろ」と言う人は居ても、 「なんとかする!」と言う人は  なかなか居ないのです。  大勢の人が興味をもつ事は、  自分の居心地の良さや快楽だけ。  だから私は決意しました。  それらの中に自分もいつか飲み込まれ、  なにもしない1人に加わる前に・・   「これはオレが何とかしよう!」  って。       追伸:あたりまえですが、     僕も人間なので     自分の居心地の良さと     快楽にしか興味はありませんし、     私は慈悲と博愛に溢れた     人格者でも、聖人君子でも     ありません。     ただ一つ言えることは、     こういう目標を持って     日々 生きていく事が     充実に満ちた居心地の良い     快感な人生なので、自分の役目に     ピッタリだと確信しただけです。     あと純粋に、     これはひどすぎる・・。     かわいそうだと思いませんか?


[はじめに] へ戻る






© 2009- 星野かなたのホームページ